【在籍2ヶ月】キム・シェルストレームがアーセナル愛を語る

【在籍2ヶ月】キム・シェルストレームがアーセナル愛を語る

前回はウィロックでお送りされたIN MY OWN WORDS(【ウィロック3兄弟】ジョー・ウィロック、半生を語る

なんと今回は、キム・シェルストレーム。

公開のペースが早い。

 

アーセナルへは、2014年の1月の移籍市場でローンで加入のキム・シェルストレーム

在籍期間は2ヶ月ほどという、言わば「レアキャラ」である。

その彼のインタビューなのだが、表現などを含め、おもしろいので共有いたします。

キム・シェルストレーム IN MY OWN WORDS

KIM KALLSTROM | IN MY OWN WORDS

キム・シェルストレームだけど、覚えてる?

「背中を負傷していた選手」としか思われていても仕方がないね。

今ならそれも、笑い話にできるよ。

アーセナルでの時間は私にとって特別なもので、短い期間だったが、とても楽しかった。

私のキャリアを彩ってくれ、素晴らしい経験をもたらしてくれたからね。

ロシアからの移籍

アーセナルは、マチュー・フラミニが3試合の出場停止になっていたと思う。

私はその時、スパルタク・モスクワのチームメイトとアブダビにいた。

 

スタジアムに向かうバスの中で、エージェントから電話があった。

『プレミアリーグにローンで行きたいか?』

『いや、そうでもない』と返した。『プレミアリーグでプレイするのは楽しいだろうが、ローンには興味がない。』

家族も含め、モスクワで満足していたし、ロシアでの生活が大好きだった。

『本当にいいのか?』とエージェントが聞いた。

『問題ない。夏までモスクワでプレイする。』

 

10分後、彼は再び電話をかけてきた。

 

『キム、本当にいいのか?彼らはきみとの契約を望んでいる。』

『行きたくないと言えばいいさ。ここに居たいんだから。』

 

1時間後にまた電話がかかってきて、エージェントは少しイライラしていた。

『本当に行きたくないのか?』

『勘弁してくれ。行きたくないんだ。』

『アーセナルだぞ。』

『OK、行くよ!』

出典:arsenal.com/
アーセナルとの契約

プレミアリーグからのオファーと聞いて、アーセナルのようなトップクラブだとは思ってもいなかった。

先の考えを改め、妻に電話をして、数ヶ月間ロンドンに住むことを伝えた。

深夜0時過ぎに飛行機に飛び乗った。

チームメイトは寝ていたため、さよならも言えなかった。

その後は、本当にあっという間だった。

怪我について

怪我のことは多くの人が知っているだろうが、きちんと説明しておく。

ビーチ(ビーチといっても、コンクリートのような場所)でトレーニングをしていて、小さな岩の上で派手に転んでしまったんだ。

背中を強打した。

翌日、モスクワに戻る予定だったから、そこではメディカルチェックはしなかった。

 

アーセナルには、背中に問題があることは伝えたが、とにかく手続きのため向かうことになった。

ロンドンに着いて、メディカルを受け、問題があることが判明したが、契約に移った。

怪我をしていたので、移籍は見送られたと思っていたが、クラブ間は合意済みだった。

移籍市場が閉まる最後の数分だった、背中を痛めた選手とサインするか、時間切れで誰ともサインしないかのどちらかだった。

結局、彼らは私にチャンスを与えてくれ、最終的には契約はうまく纏まった。

出典:arsenal.com/
語学の不安はなかった、キム・シェルストレーム

1月のローンは、初めての経験だった。

チームメイトも認識済みだったが、私はバックアップとしてひとつのオプションでしかなかった。

クラブには多くのフランス人プレイヤーがいて、ボスを含めスタッフにもフランス語を話せる人がたくさんいた。

私は、リヨンに在籍していたので、その経験が役に立った。

ニクラス・ベントナーは、スウェーデン語とデンマーク語を話すことができたから、チームに早く馴染む助けになった。

カゾーラ、エジル、そしてアルテタ

私と同時期に負傷した選手が何人かいた。

リハビリのため、選手やクラブスタッフに頻繁に会うので、怪我はある意味では良かった。

サンティ・カゾーラ、メスト・エジルといった上手い選手に囲まれていた。

皆、プロフェッショナルだった。

同郷のズラタン・イブラヒモビッチと長い間一緒にプレイしたが、彼もまたプロフェッショナルだった。

でもアーセナルに来て、ミケル・アルテタが如何にプロ意識が高いかを痛感した。

彼を見ているだけで、多くのことを学べた。

出典:arsenal.com/

いつも最後までトレーニングしていたから、たまにボスがやってきてフランスのフットボールについて談義することもあった。

それはそれは、良い経験だった。

今になって振り返ってみると、アーセナルの選手であることを実感することはなかったから、余計に懐かしく思う。

FAカップのセレブレーションでさえも、なんだか部外者みたいに思っていたからね。

2014年のFAカップ v ウィガン戦

準決勝… ただのバックアップのためのスクワッド入りだと思っていた。

スクワッドにいれば何が起きてもおかしくないのに。

 

延長戦の後半、ボスが私を入れた。

試合はPK戦に突入。

延長終了後のハドルで、ボスがフランス語で話しかけてきた。

『PKは蹴れるか?』

『いけます。』

『OK、2番手を任せる。』

 

私にとってアーセナルは常にトロフィーを集めているクラブという印象だった。

当時は、あの試合がどれほど重要な意味を持っているのか分からなかった。

インビンシブルズ(Invincibles)とフレディ・ユングベリのイメージが強かったから、最後のトロフィーから時間が経っているとは思えなかった。

相手チームがペナルティを外したこともあり、良いタイミングで自分に回ってきたと思った。

 

忘れられないのは、ハーフウェイラインからボールに向かって歩いていった場面。

『変な感じだな。』なんて思っていた。

蹴るときに笑った理由を聞かれるけど、ウェンブリーに繋がる大事な場面でキッカーになるとは思っていなかったからね。

 

キャリアのハイライトという意味では、あのペナルティもその一部になるだろう。

クラブの大きさももちろんだけど、間違いなく奇妙な瞬間だった。

通常はタイトル獲得のために、11ヶ月の間、戦うものだけど、あれはそうではなかった。

 

ネット上で私のアーセナル在籍をイジっているファンを見るが、結構面白がって見ているよ。

アーセナルのために私よりも多くのことをしてきた選手はたくさんいるが、同時に、多くの時間で成果を出せなかった選手もたくさんいる。

ペナルティスポットに歩いていった奴は、トロフィーを手にした後、再び歩いて出て行ったわけだから。

誰のことだろう、背中を負傷していた奴かな?

 

見せ場は多くなかったことで、パニックバイとして扱われているキム・シェルストレーム。(スタン・クロエンケによるアーセナル最悪のサイン

しかし、なんやかんやで愛されているように思える。

 

それにしてもユニークなインタビューでほっこりした。

 

 

 

Photos: Getty Images

 

ちなみに現在は、解説者としてセカンドキャリアを歩んでいるようである。

 

 

ひとまず、以上!